「フレッシュ・プラネット」
目次
第一話 黒髪と金髪 (1)
蛇口から勢いよく出てくる水が、洗面台に満たされた水を泡立てている。一瞬、美和《みわ》の視界に入った正面の鏡には水滴が飛び散り、水に濡れた自分の顔が見えた。アゴからぼたぼたと落ちる水滴で、高校の制服がスカートまでびしょ濡れだ。その背後に、薄ら笑いを浮かべる三人の女生徒。新しいクラスメートだが、できれば関わりたくなかった雰囲気の面々である。
女子トイレには他に誰もいない。……授業は、とっくに始まっていた。
「いいか、転校生。『金を出せ』と言われたら、『はい、わかりました』と答えて、出せばいいんだよ、全部」
「何だよ、『持ってません』ってのは。小遣いくらい持ってんだろ?」
「なければ、盗んでくる。常識だろ?」
下品な笑い声をたてる三人組。リーダー格のきつい顔の美人が、美和のポニーテールをつかんで再び洗面台に押さえつけた。水につかる顔。他の二人に両腕を引っ張られた状態なので、身体を支えることができない。
「綺麗な黒髪が、グシャグシャだなぁ」
口や鼻から出た泡が、頬を滑っていく。
「そうそうこいつ、すげーキューティクル! 天使の輪なんて、この学校で初めて見たぜ。しかも、顔まで超可愛いときてやがる」
「むかつくよなぁ。世界が違いますって感じ?」
十秒たっても、顔は押さえつけられたままだ。
「ふん、のん気なお嬢様がこんな学校に来るから、こういう目に遭う」
「死ねばいいんだよ、死ねば」
笑い声。二十秒が過ぎた。
「……なんだコイツ。なんで、暴れないんだ?」
三十秒。三人組の口数が少なくなっていた。
「なぁ、やばくね?」
「こいつ水泳部か? それなら、これくらい平気じゃね?」
「海女さんじゃあるまいし」
四十秒。ようやく顔が持ち上げられる。リーダー格が鏡を見ると、美和と目が合った。
「なんだ、生きてるじゃん」
「…………」
彼女たちは、違和感を覚え始めていた。美和の呼吸は、少しも乱れていなかったのだ。
突然、背後にあるトイレ入口の扉が開いた。
錆びた蝶つがいが擦れる音に、三人組が振り返る。髪をつかまれたままの美和も、鏡に映った彼女を見た。
戸を開けて姿を見せたのは、緑の目を持つ美しい女生徒だった。こぼれた液体のようにウェーブのかかった金髪が、紺の制服によく映える。白すぎる肌が、日本人ではないことを語っていた。
「なんだ、てめえ」
「あ、弓香《ゆみか》、ほら」
弓香と呼ばれたリーダー格が思い出した。
「ああ……A組に、外人が転校してきたとかいう噂だったな」
金髪の転校生は弓香の言葉を無視して、鏡に映る美和の顔を見た。他の三人がまるで存在しないかのように、もう一人の転校生・狐原《きつねばら》美和だけを見つめていた。
――〝あきれた〟表情で。
「おい……」
弓香がもう一度声をかけた時。女子トイレの扉が揺れ、闖入者《ちんにゅうしゃ》の姿は消えていた。
「……なんだ、あれは」
「あいつも締めようぜ、弓香」
いや……と、弓香は言った。
「A組なら、時任《ときとう》がいるだろ。彼女に任せるさ」
三人組は、すっかり白けた気分になったようだった。そろそろ解放されるのかと美和が思った時、弓香がもう一度美和の顔を水に突っ込んだ。
「助けが来たかと思ったか? この、ばーか!」
三人組は、それぞれ一撃ずつ美和に蹴りを入れてから、トイレを出ていった。
床にしゃがんだ美和のストレートの黒髪から、雫がぽたぽたと垂れている。誰も入ってこないトイレで、美和は膝を抱えていた。
腰を思いきり蹴られたはずだが、痛みはない。苦しくもない。
それが何故かは、美和自身にもわからなかった。他者から受けた肉体的な苦痛は、脳の奥底からどうしようもない本能的な恐怖や怒り、劣等感を呼び覚ます……はずだった。ところが、まるで痛覚が麻痺したような身体のことは忘れ、美和は金髪の転校生の顔を思い返していた。
驚いたわけじゃない。憐れんだわけでもない。あの、あきれた表情……。
〝……あんた、なにやってんの?〟
彼女の蔑《さげす》むような眼差しが、そう言っていた。それが何故か悔しくて、美和は濡れたスカートを握りしめた。
~(2)へ続く~
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コメント
・・・けど、
いきなりダークな始まりですねぇ。
高校、制服、転校生。
いまのところ現代地球日本でのお話のようですが、
これからどう展開していくのか
またコメント欄にもお邪魔させていただきます。
コメントありがとうございます!
……。
コメントないから、続きは当分書かなくていいや……と思っていたのにw
読んでくれる人がいるなら、ありがたく書いていきたいです。
最初が暗い話から始まるのは、私のクセかも?
今回は、なるべくサクサクと話を進めて、短く終わらせたいのと。
現代の日常っぽいところから始めると、最初に設定をダラダラ書かなくて済むなというのがありました。
先の展開を予想しながら楽しんでいただけるといいなーと思います!
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