「竜を連れた魔法使い(リメイク版) ― マティの章 ― 」
→目次
第三話 森に響く音
森の中で二日が過ぎた。
布に包まれた果実の味は梨とそっくりで甘く、梨よりも水分が豊富だった。
一口かじった時のカイリはまさに生き返った気分であり、あっという間に丸々一個を食べ尽くした。
そしてこれが重要なのだが、同じ果実が森のあちこちで豊富に実っていることに気がついた。
布に包まれたものを口にするまで全く気づいていなかったカイリ。
未知の果物に危険を感じて食べなかったというわけではない。
この緑色の果実はどれも大きな葉に隠れるようにぶら下がっていて、しかも葉と同じ色なので気づかなかったのだ。
だが二又に分かれた特徴的な形の大きな葉の裏にその実があるとわかってからは、逆に見つけるのは簡単だった。
(あれは何者だったんだろう……)
緑色の果実をかじるカイリの脳裏に、夕日に染まる美しい金髪が浮かんでいた。
カイリを直接助けるわけでもなく、かといって見捨てるわけでもなく、その行動が謎であった。
ズボンのポケットには、果実を包んでいたタータンチェックの布が残っている。
(森に食べ物があることを教えてくれようとした……そうとしか考えられない。
姿を消したのは助けを呼びに行ってくれた……とか?)
でも、声も掛けないのは不自然だよなとも思う。
確実に言えることは、この森が前人未到の場所ではなく人と出会える可能性があるということだ。
果実だけで何日生き延びられるかはわからないが、助かる可能性は格段に増したと言える。
安全な場所を探しつつも移動を続けるカイリ。
向かうのは謎の人物が歩き去った方向だ。
闇雲に歩き回るよりはいくらかマシだと思ったからである。
心に少し余裕ができたカイリはこの森に夜が来ない理由を考えていた。
最初に思いついたのは白夜である。
高緯度地方では夏に太陽が沈まない現象が見られると聞いたことがあった。
しかし白夜であっても太陽は東から南、西、北と空を移動するはずであり、何時間も同じ方角に留まっているのはおかしい。
次に考えたのはここが地下である可能性だった。
なんらかの強力な光源があり、それを太陽と思い込んでいるだけなら動かない理由を説明できる。
子供のころに読んだ“地底人”や“地球空洞説”といった言葉がカイリの頭に浮かんだ。
何しろ頭上の枝葉が多すぎてまだ空を見ていない。
そよ風はあるが、この森に来てから一度も雨は降っていなかった。
しかし、夕日と勘違いするくらいの光源となるとかなりの明るさのはずである。
(天然のものにしろ人工的なものにしろ、太陽と勘違いするほど強力な光源なんてありえるんだろうか……)
考える時間はたくさんあった。
そして、急に森へ転移したことと太陽が動かないことの二点さえ除けば他に異常はなく、世界は現実としか思えなかった。
物理法則を無視するような現象を目にすることも、見えないはずのものが見えたりすることもない。
木の枝が幹の片側にだけ広がっているのは不自然だと最初は思ったが、光源が動かないのであれば植物がその方向にだけ成長するのは自然なことかもしれない。
だとすれば、謎の光源はもうずっと昔から動いていないということになる。
(せめて空が見える場所があればな……)
ひらけた場所に出られれば、動かない光源の秘密がわかる気がするカイリだった。
森に来て三日目。
腕時計が示す時刻で午後一時頃のことだった。
相変わらずオレンジ色の世界だったが、目が慣れてしまったせいであまりオレンジ色を意識することがなくなってきていた。
そんなカイリの目にキラキラと光る何かが映った。
太い幹が立ち並ぶ向こう側に、明るく光る水面が広がっているようだった。
ためらうことなく水辺に向かうカイリ。
水も重要だがそれ以上に期待することがあった。
水辺があるということは、その上はひらけているということだ。
頭上を覆う枝葉の上には本物の空が広がっているのか、あるいは岩の天井が見えるのか。
それをどうしても確かめたかった。
直径がおよそ百メートルの大きな池は、たくさんの藻で緑色に染まっていた。
窪んだ場所に水が溜まったという感じだ。
鳥や獣にはありがたい水辺かもしれないが、カイリが飲んだら腹をこわすに違いない。
そして水面から頭上に視線を移すカイリ。
その黒い瞳に映った景色は、岩肌でも人工物でもなかった。
そこに広がっているのは、周囲の木々で丸く切り取られた眩《まばゆ》い夕焼け空だった。
木々の上には果てしない大空が存在したのだ。
想像以上に周囲の木々が高く太陽の姿は見えないが、ずっと薄暗い森の中にいたカイリにはかなり眩《まぶ》しく感じられた。
夕焼けではなく朝焼けという可能性もあるが、太陽が昇りも沈みもしないのであればどちらでもいいだろう。
気温がじわじわと上がる早朝特有の感覚がないので、夕焼けと呼ぶ方がしっくりきたというだけのことである。
森の中では遠方に目の焦点を合わせる機会がなかったため、空を見つめるカイリの目が少し眩《くら》んだ。
空の大部分は澄んだ青色だが、木々が枝を伸ばす方角では茜《あかね》色と青色が溶けあうグラデーションになっていた。
頭上には、水平に近い角度の陽光に照らされてオレンジ色に染まる雲がたくさん浮いている。
低い位置の雲は止まって見えるのに、高い層の雲は台風時のような速さで流されていく。
その様子が幻想的で、立体的に動く西洋画のようだとカイリは思った。
(綺麗だな……)
カイリの目に涙が浮かんでいた。
その口元に乾いた笑みが浮かぶ。
(ここは俺の知っている世界じゃないらしい……)
空が存在するということは、この世界では太陽が動かないということだ。
人に出会うことさえできれば、家に帰れるかもしれないと思っていた。
それが甘い考えだったと思い知らされる。
世界を超える方法でも見つけない限り、元の世界に帰ることは難しいだろう。
しかし現状は、この世界に来たきっかけさえわからないのだ。
見慣れた両親やクラスメートの顔が浮かんでは消えた。
寂しさに胸が締めつけられ、涙が目からこぼれて頬を伝った。
涙が流れるほど泣いたのは小学生以来かもしれない。
ここが自分の知らない“異世界”であることを受け入れるしかなかった。
違う星か、並行世界か、はたまたどこかの神様が作り出した新世界か……。
そのいずれであってもカイリにとっては同じことだった。
高い夕焼け空の下。
水辺にうずくまるカイリの耳によく響く乾いた音が届いた。
それは何度も繰り返し聞こえ、斧で木を切り倒そうとしている音に似ていた。
だが、そうではないらしい。
その音がだんだん近づいてきていることにカイリは気づいた。
方角は池の反対側。
対岸まで百メートルくらいの距離があるものの、音の正体がわからない以上安心はできない。
カイリは迷わず大木の陰に身を潜めた。
そっと顔を出して池の方を覗くと、対岸の茂みから何か小さなものが飛び出し、水面の上を滑るように飛んでくるのが見えた。
(……鳥?)
ツバメのような鳥かと思ったが翼が見えない。
(いや……でかい昆虫かな)
カイリの目がとらえたのは透明な翅だった。
真っ直ぐに飛来したそれはそのままカイリが隠れる大木の陰に飛び込んできた。
突然の出来事にびっくりしたカイリだが、次の瞬間にはそのことを忘れるほどの衝撃が走った。
シダーン!
突然の轟音とともに近くの木が大きく揺れ、カイリの思考が停止した。
それは池の向こうから繰り返し聞こえてきた音であり、大きな葉がばらばらと落ちてくる。
ただの高校生を本能的な恐怖で萎縮させるのに十分な脅威だった。
~ 第四話へ続く ~
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第三話 森に響く音
森の中で二日が過ぎた。
布に包まれた果実の味は梨とそっくりで甘く、梨よりも水分が豊富だった。
一口かじった時のカイリはまさに生き返った気分であり、あっという間に丸々一個を食べ尽くした。
そしてこれが重要なのだが、同じ果実が森のあちこちで豊富に実っていることに気がついた。
布に包まれたものを口にするまで全く気づいていなかったカイリ。
未知の果物に危険を感じて食べなかったというわけではない。
この緑色の果実はどれも大きな葉に隠れるようにぶら下がっていて、しかも葉と同じ色なので気づかなかったのだ。
だが二又に分かれた特徴的な形の大きな葉の裏にその実があるとわかってからは、逆に見つけるのは簡単だった。
(あれは何者だったんだろう……)
緑色の果実をかじるカイリの脳裏に、夕日に染まる美しい金髪が浮かんでいた。
カイリを直接助けるわけでもなく、かといって見捨てるわけでもなく、その行動が謎であった。
ズボンのポケットには、果実を包んでいたタータンチェックの布が残っている。
(森に食べ物があることを教えてくれようとした……そうとしか考えられない。
姿を消したのは助けを呼びに行ってくれた……とか?)
でも、声も掛けないのは不自然だよなとも思う。
確実に言えることは、この森が前人未到の場所ではなく人と出会える可能性があるということだ。
果実だけで何日生き延びられるかはわからないが、助かる可能性は格段に増したと言える。
安全な場所を探しつつも移動を続けるカイリ。
向かうのは謎の人物が歩き去った方向だ。
闇雲に歩き回るよりはいくらかマシだと思ったからである。
心に少し余裕ができたカイリはこの森に夜が来ない理由を考えていた。
最初に思いついたのは白夜である。
高緯度地方では夏に太陽が沈まない現象が見られると聞いたことがあった。
しかし白夜であっても太陽は東から南、西、北と空を移動するはずであり、何時間も同じ方角に留まっているのはおかしい。
次に考えたのはここが地下である可能性だった。
なんらかの強力な光源があり、それを太陽と思い込んでいるだけなら動かない理由を説明できる。
子供のころに読んだ“地底人”や“地球空洞説”といった言葉がカイリの頭に浮かんだ。
何しろ頭上の枝葉が多すぎてまだ空を見ていない。
そよ風はあるが、この森に来てから一度も雨は降っていなかった。
しかし、夕日と勘違いするくらいの光源となるとかなりの明るさのはずである。
(天然のものにしろ人工的なものにしろ、太陽と勘違いするほど強力な光源なんてありえるんだろうか……)
考える時間はたくさんあった。
そして、急に森へ転移したことと太陽が動かないことの二点さえ除けば他に異常はなく、世界は現実としか思えなかった。
物理法則を無視するような現象を目にすることも、見えないはずのものが見えたりすることもない。
木の枝が幹の片側にだけ広がっているのは不自然だと最初は思ったが、光源が動かないのであれば植物がその方向にだけ成長するのは自然なことかもしれない。
だとすれば、謎の光源はもうずっと昔から動いていないということになる。
(せめて空が見える場所があればな……)
ひらけた場所に出られれば、動かない光源の秘密がわかる気がするカイリだった。
森に来て三日目。
腕時計が示す時刻で午後一時頃のことだった。
相変わらずオレンジ色の世界だったが、目が慣れてしまったせいであまりオレンジ色を意識することがなくなってきていた。
そんなカイリの目にキラキラと光る何かが映った。
太い幹が立ち並ぶ向こう側に、明るく光る水面が広がっているようだった。
ためらうことなく水辺に向かうカイリ。
水も重要だがそれ以上に期待することがあった。
水辺があるということは、その上はひらけているということだ。
頭上を覆う枝葉の上には本物の空が広がっているのか、あるいは岩の天井が見えるのか。
それをどうしても確かめたかった。
直径がおよそ百メートルの大きな池は、たくさんの藻で緑色に染まっていた。
窪んだ場所に水が溜まったという感じだ。
鳥や獣にはありがたい水辺かもしれないが、カイリが飲んだら腹をこわすに違いない。
そして水面から頭上に視線を移すカイリ。
その黒い瞳に映った景色は、岩肌でも人工物でもなかった。
そこに広がっているのは、周囲の木々で丸く切り取られた眩《まばゆ》い夕焼け空だった。
木々の上には果てしない大空が存在したのだ。
想像以上に周囲の木々が高く太陽の姿は見えないが、ずっと薄暗い森の中にいたカイリにはかなり眩《まぶ》しく感じられた。
夕焼けではなく朝焼けという可能性もあるが、太陽が昇りも沈みもしないのであればどちらでもいいだろう。
気温がじわじわと上がる早朝特有の感覚がないので、夕焼けと呼ぶ方がしっくりきたというだけのことである。
森の中では遠方に目の焦点を合わせる機会がなかったため、空を見つめるカイリの目が少し眩《くら》んだ。
空の大部分は澄んだ青色だが、木々が枝を伸ばす方角では茜《あかね》色と青色が溶けあうグラデーションになっていた。
頭上には、水平に近い角度の陽光に照らされてオレンジ色に染まる雲がたくさん浮いている。
低い位置の雲は止まって見えるのに、高い層の雲は台風時のような速さで流されていく。
その様子が幻想的で、立体的に動く西洋画のようだとカイリは思った。
(綺麗だな……)
カイリの目に涙が浮かんでいた。
その口元に乾いた笑みが浮かぶ。
(ここは俺の知っている世界じゃないらしい……)
空が存在するということは、この世界では太陽が動かないということだ。
人に出会うことさえできれば、家に帰れるかもしれないと思っていた。
それが甘い考えだったと思い知らされる。
世界を超える方法でも見つけない限り、元の世界に帰ることは難しいだろう。
しかし現状は、この世界に来たきっかけさえわからないのだ。
見慣れた両親やクラスメートの顔が浮かんでは消えた。
寂しさに胸が締めつけられ、涙が目からこぼれて頬を伝った。
涙が流れるほど泣いたのは小学生以来かもしれない。
ここが自分の知らない“異世界”であることを受け入れるしかなかった。
違う星か、並行世界か、はたまたどこかの神様が作り出した新世界か……。
そのいずれであってもカイリにとっては同じことだった。
高い夕焼け空の下。
水辺にうずくまるカイリの耳によく響く乾いた音が届いた。
それは何度も繰り返し聞こえ、斧で木を切り倒そうとしている音に似ていた。
だが、そうではないらしい。
その音がだんだん近づいてきていることにカイリは気づいた。
方角は池の反対側。
対岸まで百メートルくらいの距離があるものの、音の正体がわからない以上安心はできない。
カイリは迷わず大木の陰に身を潜めた。
そっと顔を出して池の方を覗くと、対岸の茂みから何か小さなものが飛び出し、水面の上を滑るように飛んでくるのが見えた。
(……鳥?)
ツバメのような鳥かと思ったが翼が見えない。
(いや……でかい昆虫かな)
カイリの目がとらえたのは透明な翅だった。
真っ直ぐに飛来したそれはそのままカイリが隠れる大木の陰に飛び込んできた。
突然の出来事にびっくりしたカイリだが、次の瞬間にはそのことを忘れるほどの衝撃が走った。
シダーン!
突然の轟音とともに近くの木が大きく揺れ、カイリの思考が停止した。
それは池の向こうから繰り返し聞こえてきた音であり、大きな葉がばらばらと落ちてくる。
ただの高校生を本能的な恐怖で萎縮させるのに十分な脅威だった。
~ 第四話へ続く ~
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コメント
シリアスパートでお腹の音とか言ってる場合じゃありませんでした
とりあえずどんな感じの音なのかは説明できたので、ここではここまででいいかな?
2014.8.24 修正(rev.2)
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