ささやかに駅メモ!

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駅メモ!の世界に足を踏み入れたところ、なんだか楽しいのでそのまま彷徨い始めました。ウロウロ。怖くないですよ?

ねが。

諸事情でいろいろ調べものをしているうちに、すっかり思考がネガティブになっています。

人によっては、不愉快になる文章ですので、たたんでおきます。
FFXIとは全く関係ありません。

不愉快になってもスルーできる人だけ、読んでください。

ていうか、読まなくていいです。



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親子の心の問題は怖いです。
ひとつだけ思うのは、子供に殺される親は自業自得の場合があるかもしれないと言うことです。
子供が親を殺した結果として、親も子も幸せになれない……と思う人が多いかもしれませんが。
子供は親を殺さなくても幸せではなくて、それよりマシだから殺すのかもしれません。

ここから書く内容は単なる想像です。
決め付けるような文体があっても、文章を読みやすいようにしているだけで、確信を持って書いているわけではありません。

幼児期の子供にとって親は絶対的な存在です。
もし見放されたら生きていけないことを本能的に感じているんだろうと思います。
その絶対的な強弱関係が私は怖いです。
その気になれば、世間から見えないところで、どんな非人間的な扱いだってできるのです。
それが怖いです。

幼児はわがままを言います。
それは親の愛情を試している部分もあると言われますが。
幼児にとっては、生きるための闘いであるのかもしれません。
わがままを全て否定され、大声で恫喝され、暴力で傷つけられ、親の都合を常に強制されたとしたら。
それは幼児にとって自分の存在を否定されたのと同じことです。
身体は生きていても心は殺されています。
幼児は常にその危険の中で毎日を生きていて、親が自分という存在をどこまで許容するのかを確認しているのではないでしょうか。
幼児の心は未熟で不完全な部分がありますが、本能は必死で生きる道を探しているはずです。

幼児を殺す親がいます。
殺すつもりはなかったと言う場合があります。

これは、幼児の生きる本能(わがまま)を力で押さえ込めると思い込み、思った以上に本能がしぶといので、ねじ伏せる力を強くしていくうちに、死にいたらしめてしまう例でしょうか。
親は、死ぬほど苦しいなら、幼児は言うことを聞くだろうと思っています。
実際、その頻度が少なければ幼児は言うことを聞くでしょうから、余計にそう思い込みます。
しかし、ほとんどの場合に自我を認めてもらえない行為を受けるようになったらどうでしょうか。
自分の存在を否定されたのと同じです。
これは殺されるのと同じことだということを理解していただけるでしょうか。
ですから幼児は、多少の暴力では言うことをきかなくなってきます。
これは生きるための本能ですから本人にもどうしようもありません。
その結果、親の暴力はエスカレートし、幼児は精神的にも肉体的にも追い詰められ、肉体の死を迎えるのが虐待死の一例なのかもしれません。

精神の死を先に迎える幼児もいるでしょう。殺さずにすんだ親の場合です。
子供に逆らうことを許さない育て方をした親は、それが自分に返ってきます。
子供がちょっと反抗的な言葉を口にしただけで過剰に反応することになります。
もともとその存在(自我)を認めずに育ててきた子供が、言葉や暴力で抑え込めないくらいに大きく成長してくると、その親はどうやって子供に言うことをきかせればいいのか、わからないでしょうね。
本来なら、子供に言うことをきかせるのではなく、子供に自分で判断できるようにするのが「しつけ」や「教育」なのだろうと思います。
子供に言うことをきかせているだけの親は、成長すれば勝手に判断できるようになるだろうと思っているのかも知れません。
言うことをきかせるという行為は、判断する力を奪っているのかもしれないのに。

精神の死を迎えそうな状態で成長した子供は、いつも心がもがいているのかもしれません。
心がもがいている子供は、親を殺すかもしれません。
心がもがいていても、それが行動に出ることはめったにありません。
行動に出ないように育てられたから、心がもがいているのです。

判断する力を奪われて育った子供にとっては、自分が何歳になっても、どんなにあきれた親でも、親は絶対的な存在であり続けることになります。
そしてまだ生きようと心の奥でくすぶっている本能が、親が消えた世界でこそ、自分は本当に生きられるのだと感じるのは自然なことのように思います。
そんな状態の子供にとって、世間の一般論を聞かせても意味がない気がします。

親を殺したら、自分の未来が世間で言う幸福にならないことなど、わかっていることでしょう。
親に精神的に支配された子供は、一生を牢獄で暮らすよりも、ずっとつらい精神状態なのかもしれません。
見えている世界が違うのです。
そこから抜け出すことは、生きるための本能による行動だと思えます。

身体がどこかに閉じ込められていなくても、心が閉じ込められていれば、世界が閉じているのと同じことです。
人を殺すくらいなら、その前に周囲の人に相談すればいいのに……と、他人が思うのは無意味です。
自分で判断できないように育てられた子供は、何を判断できないのかも気づかずに、もやもやともがいて生きているのかもしれないのです。

親を絶対的な存在として育てられた子供にとって。
他人がどう正論を言おうが。
もう一度親に愛情をもって育てなおされない限り、「生きる」ことは、かなわず。
それが無理であるならば、その鎖を解き放つために親を殺すしかないという結論に達するのかもしれません。

そんな子供が、親を殺さずに「生きる」にはどうすれば良いのか……私にはわかりません。
私にわかるくらいなら、とっくに誰かがやっていそうです。

例えば、その子供が中学生以上……大人だとしても……幼児のような「わがまま」を少し許される環境に、しばらく暮らすのが良いのかもしれません。
その土壌を経験してこそ、自分で判断し自分が生きる自信を育むことができる気がします。

……普通は、そんな環境なんてありませんよね。


もし、「親に殺される」と感じるほどに追い詰められていないのなら。
精神的に少し閉じているほうが、芸術面に秀でやすい気がするので。
音楽でも文学でも、絵画でも、漫画でも小説でも……何か好きなものに打ち込むのが良いかもしれません。
あと、もし苦手でも勉強はできる範囲でしておいた方がいい気がします。
何か親以外に、自分でよりどころにできるもの。
これは得意だとか、これは誰よりも好きだというものがあると、結構「生きられる」かもしれません。

もし、「親に殺される」と感じているならば。
かなり危険ですよね、お互いに。
まず生命の確保が第一かと思います。
親も殺人犯になりたいわけではないでしょうから、いざという時に、できるだけ冷静になってもらえる方法があるといいのですが……。

コメント

心理学だったと思いますが、そういうどうしようもないところまで追い詰められてしまった子供を、もう一度「育てなおし」するという治療法があるそうです。
ただし、本当に一から子供を育て直すということですから、医師にも家族にも大変な負担と時間がかかるそうです。
子供のワガママを許容して、幼児に対するように愛情を持ってじっくり見守ってあげて、萎縮した心をだんだんに開放してあげるという感じだったと思います。

少しでも余裕を持って子供と話をしたり、一緒に何かをしたり・・・ちゃんとできる親になりたいと、今更ながら反省。
親も人間だから感情の波はあって当然ですが、悪いことしたと思ったら謝るとか、様子が変だなと思ったら気遣うとか、そんな小さなことからでもやっていきたいと思います。

なるほど。と思う部分が多数、ん?と思う部分も・・・あるのかな?

自分にはまだ子供も(相手すら)いない訳ですが。
子育てと言うのは凄く難しい物だと思います。
サシュさんは自分の事をネガとおっしゃいますが・・・
これは常識を持った人間なら心のどこかで抱える問題ではないでしょうか。
私には兄がいます。(ちょっとおバカな)
子供が4人いて、時々面倒みさされたりもしますが・・・
一番上の子が中学生になっているのですが、その子の話をしながら私に言ってくれた一言があります。

兄「『親は子供と一緒に育って親になる。』んやなぁ・・・」
私「へ~、何かいいね・・・それ。」
兄「うん。誰かが言よった。」
私「お前が考えたんちゃうんかい!」

・・・少しサシュさんの心情とは違うものかも知れませんが(ぇ?全然違う?)
何て言うのか・・・恐らく子供を育てるだけに必死になり過ぎ、自分が親になれなかった人、もしくは親になろうと努力をしなかった人が虐待死などをしてしまうのではないでしょうか・・・
大声で恫喝し、脅し、暴力を振るう。
兄にもそんな時期があったのを見た事があります。
でも、少しずつ少しずつ、親らしくなって行きました。
最近では、怒る時(時々怒鳴ってたりしますが)
何故、怒られているのか分かるか?と言うことから始め、
最終的に本人が理解するまで話をしています。
(この時は怒鳴る事は一切ありません。)

いつも最後に本当は怒りたくないと愚痴る兄を見てきました。
本来、子供の成長と共にこうやって『親』になるのではないでしょうか?
それを放棄したり、子供の成長から目をそらした結果が今の子供や親の虐待死や殺人に結びついている、そんな気がします。

ちなみに、4人の甥っ子どもは
「父ちゃんなぁ・・・怒ったら怖いけど普段はアホやな!」
等など、ちゃんとお父さん好きに育っているようです(笑)

乱文駄文、更に長文で失礼しました。
お見苦しい文章なので心苦しい限りです。

それでは、笑いの絶えないサシュさんでいられますように
祈り(-人-)パンパン

札幌で人間と暮らしているカラスです。カァ~。親が悪い、親が原因であると分かっている人は、実はとてもラッキーです。多くの場合、原因が分からないまま潜在意識(母胎にいる期間も含め)に自分の存在を否定するメッセージが埋め込まれてしまい、原因が分からないまま大人になって、社会に対する不適応や対人関係に苦しむものです。人生の始めに、親のせいで人間関係に絶望した人というのは、親に依存的でありながら、同時にそのような自分を憎悪するという苦しみに苛まれます。この葛藤を無くす方法はたった一つしかありません。そのような自分を、無条件で受け入れてくれる人を見つける勇気を持つことです。「今のあなたのままでよいのだ」と本心で言ってくれる人を探す努力をすることです。そうしなければ、一生、安心という名の生きる自信を手にすることは難しいでしょう。あるいは、誤った防衛手段を身につけてしまうでしょう。

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◆izumiさん
こんな記事に好意的なコメントをありがとうございます。
izumiさんがいつも私にくれるいろいろなことをありがたく思っています。
そんなizumiさんに育てられたお子さんは全然心配ないはず。
心理学(?)の件は、やっぱりそんな話があるんですね。
izumiさんも書かれているように、親も人間ですよね。
理想的な立派な親なんて、そうそういるはずも、なれるはずもありません。
むしろ頑張りすぎて、子育てにストレスをため過ぎる方が子供によくない気がします。
私は、時には自分勝手な人間らしい親でいいと思っています。
子供の心の居場所を確保してあげることが大切なんじゃないかなぁと。

◆元FF11プレーヤーさん
コメントをありがとうございます。
要領の悪い文章ですみませんでした。
お兄さんのご家族が、元FF11プレーヤーさんの目に素敵に映っているのだとわかります。
少し似ている話で、子供は自分が親になって初めて本当に親のありがたみがわかるというのがありますよね。
そう思える人はたくさんいると思いますが、万人がそう思えるわけではないだろうとも思います。
親を殺さないと自分が生きられないと思うほどの子供の話は、全く別次元の問題かもしれません。

◆カラスさん
コメントをありがとうございます。
カラスさんの書かれていることは的を得ていると思います。
こんな話を聞いたことがあります。
あくまで一例だと思いますが、幼児期に虐待を受けた女性は、次々と男性を好きになるけど長く続かないと。
理由は、付き合いが長くなると、本当に自分を好きなのかどうかを試す行動を取ってしまうからだそうです。
たいていの男ならそれで引いてしまうのも仕方ないと思いますが、女性の方の心理には切実なものがあるのかもと、カラスさんのコメントを読んで思いました。

◆秘密さん
今回も話をしてくれてありがとうございます。
無責任な文章ですみません。
でもきっと、この問題のことは私自身がこれから先もちょくちょく考えるんだろうなと思います。
そのことが無駄でなくなる日が来るかどうかはわかりませんが。
秘密さんのお子さんが幸せであることはいつも伝わってきます。
そのことは、うちの子が幸せであることよりも価値がある幸せなんだろうと勝手に思っています。

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